――そもそも『Helpless』を撮影していた時に、続編があるとご存知だったんでしょうか?
「いえ、全然。『EUREKA ユリイカ』が(7年前に)カンヌに出品された時、僕も『御法度』という映画で現地にいまして、そこで『EUREKA ユリイカ』を観たんです。そしたら、『Helpless』と同じ世界観が広がっていたので、「あれ、健次はまだどこかにいるんだ」とその時に思いました。青山監督はもっと前から構想していたのかもしれませんけど。」
――11年ぶりに「健次」という役を演じていかがでしたか? 続編ということで特別何か意識されたことはありますか?
「すごく集中力をもって役に臨むことができましたね。今まで同じ役をしばらくたってから演じるということがなかったので、とても楽しい時間を過ごすことができました。
続編だからどうというのは特にありませんでしたが、台本の前に青山監督が書かれた『サッド ヴァケイション』の小説を読みまして。そこに演じるべき「健次」のすべてがあったんです。だから撮影中どんなことが起きても、「健次」として対応できるように頭の中でシミュレーションしていました。
自分の頭の中だけではきっと考えきれなかったものが、全部小説に答えとしてあった。それがすごく嬉しかったし、なんだか僕自身の個人的なことまで驚くほど見透かされているような気がして、そんな風に「健次」が自分とリンクしているのも嬉しかったですね。」
――浅野さんは『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』でも青山監督と一緒にお仕事されていますよね。浅野さんにとっての青山監督とはどういう存在なんでしょう?
「映画初主演が青山監督の作品だったということもあって、監督は常に自分のことを見ていてくれる人ですね。とても話しやすいし、何でも受け止めてくれるし、それを作品にも生かしてくれる。遠慮のいらない関係性で、僕には非常に有難い存在です。勝手に仲良くさせてもらっています(笑)。」
――青山作品は少し観念的な部分もありますが、浅野さんが感じる青山ワールドの魅力とは何ですか?
「例えば時間は淡々と過ぎていくんだけれども、ただ淡々と過ぎていくだけではなくて、そこに生活に対する答えみたいなものがポンッと現れるので、それにいつも救われる気がするんですよね。偏っていないバランスがあるというのかなぁ。もちろん、青山監督自身がこだわって作っているものだから偏ってはいるんだろうけど、必ず最後に観る人それぞれが受け止められる何かがあるんですよね。」
――では、『サッド ヴァケイション』で、浅野さんが受け止めたものは何だったんでしょう?
「今回はたくさん共演者がいまして、人が普段の日常生活を送るように、役者それぞれが自分の世界で映画の中に存在していたんですよ。ある種、映画としての統一感をむちゃくちゃにしているようなところがあって。今までなら、一定のテンションや世界観の中に監督のテーマみたいなものがガーンと出てくるんですけど、今回は敢えてバラバラのままにすることで一貫していない答えを出しているようで、それが新鮮でした。」
――ということは、みんな自由に演じていた?
「自由でしたねぇ。でも、後で完成した映画を観てみたら、僕があまりにも自分の世界に入り込みすぎていて、周りが見えなくなっていたことに気づきました。11年も前に演じている役だから、どうしても思い入れが強くて、どこかで自分の世界だけが映画に表現されていると思い込んでいたんですよね。でも作品にはいろんな側面があって、予測していた完成図とはまったく違っていたから、「エエッ?!」って。混乱もしました。「あれ? 俺、これで成立しているのかな」と(笑)。
だけど、『Helpless』とも『EUREKA ユリイカ』ともまた違う流れの映画になっていて、意外に明るさもある。一体どういうことなんだろうと驚きはしたけれど、青山監督が常に新しい可能性を探っているようで、そういうものを見せてくれたのが嬉しかったですね。」
――青山監督も非常に浅野さんの才能に惚れこんでいますけど、具体的にどんな褒め言葉が印象に残っていますか?
「なんですかね? いっぱい褒めてくれるので嬉しいんですけど、何が心に残っているかなあ。例えば僕はどんな些細なことでも、演じる役に応じて一個一個意識的にリアクションするよう心がけているんですけど、そういうのを青山監督が必ず見てくれていることでしょうか。言葉として言うわけではないんですけど。本当に細かい部分なので、気づかない人もいるけれど、青山監督は見逃さず、ちゃんとそこを評価してくれるんですよね。」
――『Helpless』は父親をめぐる物語でしたが、今回の作品では母親がテーマになっています。父親と息子である「健次」を捨てて出て行ったこの母親のキャラクターには理解しにくい部分もあったかと思いますが、浅野さんはどう捉えましたか?
「まったく考えていなかったですね(笑)。都合よく解釈すれば、「健次」も再会するまでは母親のことなんか考えていなかっただろうし、そこは人間みんな自分勝手に生きていると思うんですよ。僕が考えたところで、(母親役を演じた)石田えりさんはやり方変えないですし(笑)。でも、僕と同じようなテンションで役に接していたのが石田さんだったんですよ。向いている方向が同じだったので、そこは救われる気がしました。」
――「健次」は母親に復讐心を抱きますけど、一方で母親をすごく求めてもいますよね。
「そうですね。復讐心が生まれるっていうのは、要は幼稚だから。5歳の時に母親がいなくなったために、「健次」の中で何かが5歳のままで止まってしまった。だから母親といざ対面すると、5歳の時の自分がばっと出てしまう。でも、その実、母親には会いたかったんですよね。殺したいと思いながら一緒に暮らして仕事まで手伝ってしまうのは「健次」の面白いところだし、「健次」自身もきっとよくわかっていないと思う。それがまたリアリティの一つですよね。」
――この11年、浅野さん自身にもいろいろ変化があったことと思います。役者人生をスタートさせた頃は、「俳優は辞めるかも」と取材で発言されていたこともありましたよね。
「さすがにもう辞めようとは思わないですし、役者という仕事に対しての考え方も変わってきましたね。天邪鬼だから何かに収まりたくないっていう気持ちはありますが、自分の中で手ごたえなり何かをしっかり受け止めてからでなければ次に進めないと思っています。
この11年の間に、いろんな役をやらせてもらって、随分成長させてもらいました。天邪鬼で生意気なのは今も変わってないんですけど、昔は自分が信用するやり方しかできないと思っていて、信頼できないものを避けていたし、そういうものを心の底から嫌ってもいました。でも、その後、いろんな役にチャレンジする中で考え方も変わってきて、今再び『サッド ヴァケイション』で自分の本来のスタイルに戻ったという意味では、何かが一周したのかもしれませんね。」