 |
|
 |
|
6月11日update
|
|
    |
  |
ザ・ウォーカー (2010年 アメリカ)
 |
|
|
|
|
|
|
|
 |
|
|
 |
|
|
 |


 |
 |
  | c2010 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. | |
|
|
|
 |
 |
 |
神に与えられた使命を果たした男の至福
とてもスピリチュアルな内容の映画だ。こういう主題で、ハリウッドが大作として本作を作ったことに、やはり時代がこういうことを求めているのかな、と嬉しいような、不安なような気もした。 舞台は世界滅亡後のアメリカ大陸。荒廃した大地を一人、旅する男がいる。男はある「使命」を持って西へ向かっている。その「使命」とは、世界に一冊だけ残された「ある本」を西へ届けることだ。でも、なぜ自分はそんなことをしなければならないのか、西の誰に届けるのか、男は何も分からなかった。それでも男はもう30年も歩きつづけている。そんな旅を急ぐ男の前に立ちはだかったのは、その本を執念深く探している街の支配者だ。彼はその本を手に入れたら人々の心を支配できると知っていた……。 まず映像に驚いた。まるでアンセル・アダムスのゾーンシステムの世界。写真の焼き付けの濃度はこうですよ、と教えてくれるような陰影のハッキリした広大な大地や空や廃墟が芸術的に広がる。これは銀残しして、フィルターもかけてるのかな? と思わせる、凝った色調整が全篇にほどこされている。写真集をめくってるような美しさだ。撮影はニュー・メキシコのアルバカーキだそうだが、その美しいニュー・メキシコの雲をバックにした、山刀によるシルエットだけのスタイリッシュなアクションにもうなった。こりゃ、いいかげんにゃ撮ってないよ、と観てるこちらにも力が入る。 そして最初に涙一筋したシーン。男と旅を共にすることになった少女が、盗賊にレイプされそうになってあわや、というところで男に助けられるのだが、ここで少女は男にガバッと飛びついて「ありがとう!」と一言叫ぶ。これも私は胸打たれた。こういうシーンで「ありがとう」だけのセリフってあまり今までなかったように思うのだ。すごく胸に来た。その後、男と少女は何も言わずまた黙々と歩き出す。でもカメラは少女の顔のアップから動かない。少女はサングラスをして平気な顔をしているのだが、突然顔が歪み、うっと泣き出して立ち止まってしまう。 これは上手な演出だ。少女がどれだけ怖かったかを間をあけることによって観客に強く示すし、少女の幼さも現している。また、この一件はこの涙で浄化される。観客は強気な彼女の涙に同情してホロリとする。私はここで涙一筋だった。繊細な演出が光る。細部に目が行き届いている。 中盤までこの男は自己中で、本がとにかく大事で少女のことなんかどうでもよくて嫌な感じなんだけど、彼が少女と関わることによってとった行動にあれ? と思っていたら、ラストはもう大号泣だった。 この「ある本」というのは、たぶんみなさん、もう何の本かお分かりだと思うんだけど、この本が支配者の手に渡った時に「あっ!」と思わされる。これは最初から伏線が張られていて、ここでも「上手いなあ~」と私は感心してしまった。観て「あっ!な~る」とにんまりしてください。 さて、その号泣のラスト。この映画は「信念」や「自己犠牲」「神に与えられた使命」「希望」ということを描いている。男は、神の道具として自分に与えられた使命をまっとうする。滅んだ世界はその本によって再び復活する…。とてもキリスト教的なラストなんだけど、私は人間の理想であり、本質を描いていると思った。人は誰しもこの世での使命があり、それを果たすために生きている。それを皆、知るべきである。 その日試写室で号泣していたのは私だけだったみたいだけど(笑)、スピリチュアルを信じている人はストンと胸に落ち、過大な感動を得られる作品だろう。そうでない人も、男の愚直な生きように救いの「光」を感じる、ことを願う。
|
|
|
 |
 |
 |
世界の終わりを行く父と子の「崇高」
「ザ・ウォーカー」を観た後に本作を観たのだけど、観始めて「あれ? これも世界滅亡後の話?」とたじろいた。本作は文明が滅んで10年以上たった世界で、南を目指して旅する父と子の話だけど、「ザ・ウォーカー」とはまた違う悲壮さとリアルがあった。 しかし、最近世界滅亡後の話って多くない? 「9(ナイン)」もそうだし。ある本によるとここ何十年かで世界はリセットされて、今の人口の10分の1しか生き残らないそうだけど、そういうのを皆感じ取ってるのかな? とも思ったりして…。 さて、本作は「ノーカントリー」のコーマック・マッカーシーの原作で、ピューリッツァー賞受賞のベストセラーというだけあって、文学色の濃い作品となっている。荒廃した世界を、ボロボロのホームレス状態になった父と子が旅をする。食料を失った人々は共食いに走るが、特に子供は狙われる。近寄ってくる人間全てを疑い排除し、息子を命がけで守ろうとする父親。だんだんと餓鬼みたいになってくる父親に反して息子は天使のごとくピュアなままである。時々挿入される妻がいた幸せな日々が異様に美しい。でも、その妻も夫と息子を残し、一人闇の中へ去っていく。夫が泣きながら頼んでも、妻は「さよなら」と背を向ける。このシーンはとても私の心に残った。もう行くと(死を意味するんだけど)決めた人を止めることはできないんだなあ、と強い諦観を感じさせられた。すごく空しくて非情。 父と息子には次々と苦難が襲ってきて、いつどちらが先に死ぬんだろう、と心構えが必要になってくる。その救いのない展開の中に一条の光のように差し込まれるふたりの会話。 「俺たちは火を運んでいるんだ」「火ってなんなの?」「心に宿る火だよ。それはお前の中にあるんだ。それを運ぶ俺たちは善き者なんだ。役目があるんだ」。原作にあるであろう、素晴らしく文学的で胸を打つ父と子の会話はこの映画の核だ。汚れた世界を一気に純白にするパワーを持つ。正直、これらの会話がなければ陰々滅々なだけの映画である。 本作も「ザ・ウォーカー」同様全篇写真集のような美しい廃墟や荒廃した街の映像が見られる。しかし、なんとこの映像、すべてロケーションによる実際の映像なのだという。特にニューオーリンズのハリケーン・カトリーナの爪あとが生々しく残る、まさに終末観漂う映像は大迫力で恐ろしくもある。 なぎ倒された電柱にちぎれた電線。そこここから火や煙の上がるだだっ広い幹線道路を身を寄せ合って歩く父と子。その姿は一篇の詩のようだ。汚れた雑巾のようにズタボロなのに、崇高さがあった。 この映画もラストには「希望」が用意されている。息子には、大切なことは全て父親が教えてある。大丈夫、生き抜ける。 何十年後かに、リセットされた後の世は素晴らしいミロクの世となるらしいが、そんなことを信じられるようなラストである。
|
一宮千桃(いちみや・せんとう)
映画評論家。講師。MC。情報誌映画担当を経て独立。フリーで文筆や講師活動を行う。好きな映画は「ピアノ・レッスン」。小学校の頃から観つづけてきた映画によって愛も恋も男も女も人生もオシャレも知ったという箱入り乙女(?)。趣味は海外旅行、読書、クラシック音楽鑑賞、美術展巡り。宝石収集。占い。古本屋巡り。 |
 |

- http://www.fe-mail.co.jp/trend/entertainmentflash/20100611.cfm
|
 |
|
 |