
今までどちらかと言うと低予算のアート系映画が多かった監督なのだが、『世界の中心で、愛をさけぶ』がメガヒット。でも、これも内容的には小品ではある。しかし、今度の『北の零年』は東映が社運を賭けた、とまで言われる製作費15億円の超大作で時代劇。吉永小百合さんのご指名を受け、7か月をかけて撮った本作の出来やいかに?私は3回泣きました。この人こんな手堅く時代劇も撮れるんだな、とちょっと驚いた。多分職人的才能のある人なんだろう。しかし、久々に3時間近い日本映画に満足した。これって凄いことじゃないだろうか?大作を撮り終えた行定監督にお話を伺った。監督は終始多弁で、自信も感じられ、具体的な撮影時の話もたくさん語っていただいた。
Fe-MAIL(以下F)―今回明治初期の北海道を舞台に、淡路島から移住させられた徳島藩・稲田家の人々の流転の人生を、吉永さん演じる武家の妻を中心に描いていますが、私は見せていただいて3回泣きました(笑)。見ている間何度も感じたのですが、とてもドラマチックな映像が多かったですね。たとえば吹雪の中に突如現れる馬の脚とか、ラストの放馬のシーンとか。
行定勲(以下I)―ありがとうございます(笑)。映像はいろいろやってみたいことがあったんですよ。雪ひとつ、馬の蹄ひとつにしてもね。馬の脚のシーンはこだわりがあってね。普通雪って人が歩いても舞い上がらないんですよ。すごいスピードでトラックが走ったりするとパッって舞い上がる。その感じが馬の脚にあったら馬の重みが出るかな、と思って。馬の蹄が蹴り上げる雪の粉っていいなと思って、あのシーンは種明かしするとセットで発砲スチロール使ったんです。馬の脚や、吉永さんの履く靴も重ねて撮ったりしてます。印象的に撮れたと思いますね。雪の撮影や、時代劇は経験浅いので相当いろんな映画見たり、いろんな効果狙ったり、いろんなとこからアイデア頂いてる。でも結局自分たちで作らなきゃならなかったけどね。
F―たとえば、どんな映画を参考にしたんですか?
I―う~ん。ほとんど昔の日本映画だけど。でも、結果的に見た作品とはほど遠いものになってますよ。参考にしたのはディテールだけだから。
F―他にも時代劇ということでこだわったところは?
I―スケール感、ダイナミズムが映画で一番心動かされる部分だから、こだわりたかったんですけど、結果いつもの撮り方してるし・・・。武家の所作を演出しながら、時代劇の演出を学んだし、見えてきたし、発見があったところがありますね。段々自由を得たって言うか。時代劇ってメッセージを強くダイレクトに込めることができる。その術が見えたし、そのあたりは撮りながら分かってきたんですよね。でも、時代劇関係なく、シンプルな映画を目指したつもりです。
F―監督の作品ていつも違う作風のような気がするんですが。いろんなタイプの作品が撮れるというか。
I―スタンスとしては変わってないんだけどね。海外のジャーナリストなんかは作品によって作風が違うんで面食らってるみたいだけど(笑)。どう解釈していいか分かんないらしくて。でもまあ、それなりに楽しんでるみたいだけど。ジャーナリストは監督の作家性を見分けようとするけど、作家性が際立ってない風に見えたい、ってのが今の自分のスタンスで、その方が面白いと思うんだよね。僕はただその作品に対して正しい演出をしたいだけでね。シナリオを読んで何を描くべきか? 何を見出すか?たとえば今作のキーワードは「刀から鍬」なんだけど、それが演出の鍵になるんだよね。そのキーワードを映像化するためには、どんな演出が正しいのか? と考える。でも、僕を古くから知ってる人、たとえばうちの助手たちなんかは今作を見て「行定さんらしいですね」とか言うけどね。そこは面白いよね。
F―この映画は稲田家の侍(男たち)のやるせない生き方も描かれてますが、吉永さん演じる武家の妻、志乃のアシリカ(豊川悦司)への秘めた恋心も描かれていて、私はそこらへんもグッときたんですが、ラストシーンでアシリカは志乃を抱きしめたら良かったのでは?
I―いや、あれはプラトニックであるべき。吉永さんと豊川さんという俳優ふたりの距離感もあるしね、その距離感が良かったんだけど。あの時代に夫がいる身としてはね、恋愛感情があってもどうしても露呈できない。それがラストシーンでふっと出てしまう。それを見た夫は意外とショックだと思うし、禁欲的な部分はあった方がいいと思って、ただ手を握るだけにした。でも、それだけでも生っぽくていいと思うけどね。
F―そうですかー。ところで(助監督として多数ついたことのある)岩井俊二監督から学ばれたことってなにかありますか?
I―う~ん。岩井さんと僕ってアプローチが全然違うんでね。でも、そうだなあ。映画を見る角度や、映画を物語る角度ってのは独自性があるんだと分からせてもらったかな。岩井さんのモノの見方ってほんとに独特なんでね。要はなんでもモノの見方が大事だと思うしね。この映画も自分の見方なんですよ。幕末の侍たちがどういう風に生きようとしたのか? が今回の大きなテーマ。淡路島から北海道へ来て、原野を開拓するってこと自体特殊でしょ? 何もないところに侍が置かれてるって。侍は侍でしかない。彼らのこれからの道も見えていない。そんなとこには人間性しか出てこないから。人間性が重要なポイントだと思ったんですよ、この映画には。
F―今作では手持ちカメラを使ったり映像も凝ってますが、照明も印象的でした。全体の色調の設定はどういうものだったんですか?
I―豊かな映像にしたかった。たとえば山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』はリアルな光源でリアルに当時の質感を出すことに挑戦してる。『隠し剣 鬼の爪』では進化して、色を取り入れたりしてて、それは山田さんに余裕が出たからだと思う。山田さんはフォーマット作るのが巧くて、常に実験してる。ドラマ作りは教科書みたいに素晴らしいしね。僕らも山田さんの時代劇は視野に入れてたんだけど、「でも、そこじゃないんじゃないか?」って照明マンと意見が一致した。じゃあ何かって思い浮かんだのが山田映画と対峙して在る『ラストサムライ』。日本を描いてるけど、違和感があるよね。それは外人が撮ってるってだけじゃなくて、スケール感が違うし、なんか桃源郷みたいな感じだよね。まあニュージーランドで撮ってるというのもあるかもしれないけど。でも日本人が撮る時代劇とはあきらかに一線を画した世界観がある。『ラストサムライ』はすっごく参考になったんですよね。なんでか、って言うと『ラスト~』も理想の村みたいなところで侍たちが着物を着て所作をキチッとして動くシーンがあるでしょ。この映画も原野で侍が所作を踏まえて動くシーンがあるから、そこは通じるところがあるんだよね。もちろん目指すところは『ラストサムライ』でも山田映画でもなかったんだけど、この二つの作品があったことでまた違う僕らの撮り方が分かったわけ。それはどういう撮り方かと言うと、僕らが今まで現代劇でやってきた方法をそのまま時代劇でも使うということ。たとえば焚き火しかなかったらこういう光、でもベースは月の光だとかね。ベースの光を作るというのはあまり日本の時代劇ではしない。現代劇では絶対してるのにね。そのベースを感じさせるものを作ろうとしたんです。たとえば、リドリー・スコットの映画みたいに朝陽がバーッとふりそそいでる、みたいなね。そんなの時代劇で見たことないと思うよ。それが僕らが作った新しさって言うか、僕らが作る時代劇の在り方だと思ったんですよ。「映ってるものは古くて貧しい。でも映像は豊か。こういうのが、いいんじゃないの?」と照明マンと話あってね。そうじゃないと、『ラストサムライ』を見ちゃった日本の観客は耐えられないだろうな、と。
F―ふ~む。なるほど。ラスト近くに窓から朝陽がバーッと差し込む印象的なシーンがありましたけど、そういう考えがあってのことなんですね。確かに時代劇ではあまり見たことのない照明ですね。
I―さっきからやたら『ラストサムライ』を出してるのは、宣伝文句として出してるだけで、『北の零年』を若い人に見てもらいたいからなんですよね。『ライトサムライ』は渡辺謙さんとも言ってたんだけど、「ほんとの日本が分かってないよね」って。彼はインタビューでも言ってるけど、なぜ『ラストサムライ』が日本から発信されなかったのか、日本人として憤りを感じると。そういう意味では『北の零年』で謙さんが演じた小松原という男の在り方は『ラストサムライ』とは正反対なんですよね。謙さんはそういうところを感じながら演じてくれましたよ。
F―監督がこの映画で描きたかったことは?
I―うん。維新で新しい世の中になるっていうことに、たぶんほとんどの侍たちは耐えられず、後ろ向きだったんじゃないかと思う。武士の魂や誇りを捨てることは屈辱で、その武士の魂や誇りにしがみついて生き続ける男たちに僕は魅力を感じたんですよ。彼らの無念や哀しさを描きたいと思った。それと、そんな男たちを信じた女たちの強さ。彼女たちは男たちより果敢に未来を切り開いていった。明治初期の日本人の切ない姿や強さ、勇気は現代人にも何か感じるところがあると思います。
F―ありがとうございました。
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『北の零年』(05年 東映) 監督 行定勲 脚本 那須真知子 出演 吉永小百合、渡辺謙、豊川悦司、石田ゆり子、 柳葉敏郎、石原さとみ、安部サダヲ 1月15日から全国東映系劇場にてロードショー
ストーリー 明治維新。徳島藩からの分離独立を主張した淡路の稲田家は、徳島藩からの一方的な襲撃を受ける。1870年の庚午事変がそれ。明治政府は稲田家主従546名に北海道への移住を命じる。家臣小松原英明と妻志乃、娘多恵も先遣隊として北海道に渡る。北の原野での生活は厳しく、せっかく耕した農地も廃藩置県で明治政府の管轄となる始末。小松原は札幌に稲を買いに行ったまま戻らず、5年の月日がたつ・・・。 |
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| 取材・文/一宮千桃 |
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